コミュニケーションの課題。

2022年02月02日

 私たち一人一人は、何気ない生活の中で、会話や非言語コミュニケーションを通じて沢山の会話をしています。私は気分が落ち込んでいるときにだけでなくて、疲れているときにその大切さを忘れがちだなぁと再認識しました。乗り越えたかと思えばまた出てくる課題。きっと人生をかけて学んでいくのだと思います。   

 発達障害、グレーゾーン、ツインレイプロセスに向き合う方の中にも大いに当てはまると思うので、様々な方面で生きづらさにある方/自分を見つめながら過ごされている方とシェアできることがあればと思い、記録しています。 


<目次>

  1. すぐに結論を出したがる。
  2. 自己防衛の心理が働く。
  3. 言葉を扱うことの意識の大切さ。
  4. 相手の呼吸を感じるところから。
  5. 明け渡す勇気を持つ。 

セルフリーディング;


 1.すぐに結論を出したがる。

   何かにつけて、強く白黒はっきりさせたがる。自分がそういう性質なのだと、はっきり認識できるようになった部分は、少し進歩したのかなと思う。何気ない会話よりも、意味のある会話をしたいという思い(ADHD)がどこかにあり、人よりも上手く雑談が楽しめない(HSP)ので、結論に至るまでの過程に興味が低く、雑談を楽しむことが苦手(ASD)。

 話合いが必要な課題があったとして、その場/その時の会話で、すぐに結論が出ない事への我慢ができない感じ。それは、根底に、自己愛が欠乏している為に欠けた部分を補えていない「不安」があり、その不安を埋めたいので「早く!早く!なんでもいいから早く!」と、エゴが自分の思いどりに行かないことが我慢できない駄々っ子のように、大人になった私をせかすことが原因だと思う。

 ようやく、結論までの過程に、結果に結び付くようなアイディアが転がっているかもしれないのに、勿体ないことをしていると気が付き、 日々の会話の際に、意識的に練習するようになった。

2.自己防衛の心理が働く。

 子供の頃、だだを捏ねたところで、それが正しい振る舞い/良い気持ちの状態ではないとは、きっと幼くても知っていたと思う。我慢をして、気持ちを出さず、いい子でいることは私にとって安全であったし、怒られることから身を守る自己防衛の術だったと思う。

 黙っていい子にして、様子を伺うという方法以外に、身に付けたものがもう一つ。それは、自分の望んでいる現実を見たいがために、相手の話より先にしゃべり、結論ありきで話をするということ。そして、その自分の望む結論に至るための安心な理由が沢山在ってほしいので必然的におしゃべりは長くなる。

 そして、、これに輪をかけて、いっぱいしゃべりたいので、簡潔にまとめることができないので、焦って話があっちこっちに飛んでしまう。順序もめちゃくちゃだし、焦っているので相手に伝わるように話せない。伝えようとする意識がない。「欠けている」という優しいものではなく、「相手へ届けたい。伝えたい。」という思いが低すぎたのだ。そして、ますます話をどこから埋めたらよいかわからなくなる「何が言いたかったんだっけ?」ということが起ってしまう。このブログの文章も、そうならないように気をつけているつもりだけど、、上手に伝えられたらいいのですが、散らかってしまう脳内を見てもらうサンプルという意味ではいいのかもしれません!


3.言葉を扱うことの意識の大切さ。

 そうして慌てて、「自分の思うような結論に早く達して安心したい。」というエゴを満たしたいので、当然口から発する言葉は丁寧ではなくなる。思ったことをそのまま口にしてキツい表現になる。そもそも、他者に対してキツい表現が頭に浮かんでいるというところから改善する必要があったし、認識でき始めた今でも、そういう‘濁った気持ち’が自分の中に潜んでいないか、よく目を凝らして見る必要があります。

 悪気がなければいいのかというと、それは当然違っていて、言葉の扱いが乱暴だと、やっぱり相手にも伝わるし、乱暴な扱いをしたときの、重たい気持ちは、その時感じた自分の胸や、握りしめた手やぎゅっと緊張した思考の中に残ってしまうので、そこはやっぱり、重たいものは‘手放し’て、軽やかに、心を元気にしていく為には、いい言葉、優しい言葉、軽やかな言葉、嬉しい言葉、感謝の言葉を使っていきたいと思います。いやだなぁという言葉を投げかけられたとき、いやだなぁと感じているのは、本来の自分の周りにこびりついたエゴの部分が苦しくてもがいている。在りのままの自分を受け入れることが出来てきたら、もうそんなに、外界から身を守る必要もなくなってきた。取り去るときは痛みがあったとしても、ひっぺ返して取り去った方がいい。


明け渡す勇気を持つ。

 他者との会話がどうこうと、難しいことを考える思考(脳での作業)ではなく、その場に漂う空気感や人の仕草や自分の心が何をどんなふうに感じているかという精神面(心)の動きに丁寧に寄り添って感じるところから始めていきたい。今まで、上に書いてきたように、「自分が、自分が。」と不安なエゴが前に出るばかりで、他者を受け入れていく器が小さかった。人でも動物でも自然でも、もっともっと素直な気持ちでいろんな表情を感じていけるような状態を、いつも自分の中に保っておけるように、、日々を楽しんでいきたい、感じていきたいと、言えるようになってきて、ホッとしています。

 恥ずかしくも、勘違いをしていたのは、「寄り添うこと」はただ自分の発言が来るのを待つことではないということ。寄り添っているつもりで、待っていただけだったなんて、哀しい在り方です。まずは、相手の呼吸を感じるところから。言葉を紡いでくれていることに感謝しながら接することを忘れないようにしたい。

 在りのままの自分で生きていくこと。エゴを取り去ったありのままの裸の自分でオッケーだといえる勇気。振り絞るよりも、自然と両手を開いていきたいです。

 楽しみながら自分をのぞき込む!

セルフリーディング;BADGER SPIRIT / Be fearless and bold   五感を使って。


A rainbow appears after the rain. ーきっと晴れて虹がかかるときがくる。ー

このブログが、私と同じような体験をして生きづらさに立ち止まっている人の勇気に触れることを願って。

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 綴るごとに世界が色とりどりに溢れかえります!

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