心の嵐が過ぎさった後の回復期の変化。

2022年01月23日

 これまでの罪悪感や大きな執着を手放し、自分軸を確立していくプロセスを進んで行く中、これからは、心が自由にのびのびとしてくるのだと、淡い期待・明るく思える希望をいただいていた。ところが先日、頭が真っ白になったような、思考が停止してしまったような感じになりました。一週間いかないくらいだったと自覚しています。しばらくそのままの状態で過ごしてみたものの、「これは何だろう?」というはてな?が浮かび、そこから先へ思考が進まない感じでした。

 資料を探ってみたところ、‘統合失調症の回復期’の様子に当てはまるものだったので、記録しておきます。心の葛藤に悩みを抱え、出口を模索している方やご本人を支えるご家族の皆様の何か参考になることがありましたら、幸いです。必要がありましたら、シェアされてください。


<過程の記録>

  1. 青年期以降;依存性パーソナリティーに当てはまる部分。
  2. 疾患として;統合失調症の陰性症状に当てはまる部分。
  3. 回復に向けて休息;感情が働かなくなった思考停止の空白時間。
  4. 安定と内なる平和を目指して;自分に愛と平和を見つけること。


1.青年期以降;依存性パーソナリティに当てはまる部分。

 人に限らず、物や情報にでさえも、依存して生きようとするのが苦しさを生んでいたし、握りしめて手放せず、苦しかったところだ。こうして自分の心の奥深くに向き合うまでは、私もその自覚が無かった。そうして何か理由がわからないものと、日々闘って、疲れ果てている人は多いのではないだろうか。例えば、他者と会う約束を交わそうとしたとき。他者はそれほど気にしていないにも関わらず、 自分がやるべきことの予定を後ろへずらしてまで、他者が希望してきた時間に合わせて準備をする。他者はそれほど気にしていないにも関わらず、過剰な配慮をするのは、自分への評価を他者に喜んでもらったり、認めてもらうことで自分の存在価値を確認する基準にしているからだ。日常的に自分で自分に必要な判断を下すことが難しいので、常に自分の外側の様子に気を張り巡らせていなくてはいけない。そしてこれは、繊細さ(HSP)で過剰な反応を引き起こし、ネガティヴな思考の反芻(ADHD)で感情が負の方向へ加速され、物忘れや思考の平坦化など統合失調症(陰性症状)の出現に至ってしまう。私の最も痛い部分、苦手な部分であり、そうして生きるのではなく、自分の意志や気持ち/健康を大切にし、自己愛により、精神的にも経済的にも自分軸で生きていくことが最も重要な課題になる。


2.疾患として;統合失調症の陰性症状に当てはまる部分。

 まさか自分が統合失調症の症状に当てはまる部分を見つけるとは思ってもみなかった。思考障害(考えがまとまらない)、感情の平板化(我慢を重ねすぎたために、自分の気持ちがわからない。)、意欲の欠如(急性期を抜けたとき、将来なりたい自分の姿や叶えたい望み、やりたいことがわからない。)や、ASD気質も影響して自閉(延々と一人で過ごすことが気にならない。言葉を発しなくても暮らせる。)の状態、といった項目に、ことごとく当てはまっていた。

 その症状が記載されている資料を、客観的に読み、‘当てはまっている。’と自覚することそのものまでの道のりも、長くなってしまった。実際、日々の生活や仕事の中で、小さな計算ミスやメールアドレスの入力ミスで送信できなかったことや、些細なミスが、ある時期から急に増えていった。特に、心の傷が、パーソナリティ障害や統合失調症へ進み、認知機能低下まで落ちてしまうと、コントロールが効かず、自分で病気だと気が付くのが遅れて助けを求めるのが難しくなっていたと想像できる。私も周囲の声掛けがなければ、自分が酷い状況にあると判っていても行動に移すことができなかった。


3.回復に向けての休息;感情が働くなった思考停止の空白時間。

 順調に回復に進んでいた心の状態が、急に動きがおかしくなった。今思えば、回復に向けての休息を必要とする期間だったようだ。小さいころから、手がかからないいい子であることを維持するために、頑張り続けてきたのだと思う。だから、‘上手に休む’ということができない。育ったのが、高度成長社会であった時代背景も大いにあると思うが、頑張ることが美徳であり、頑張って頑張っている自分だからこそ価値がある、と外の世界に自己価値を見出すやり方しか覚えてこなかった。

 その為、心の回復に感情が追い付いていないのに、思考と 身体が一日の持ち時間をオーバーしても頑張り続けるので、休むことができずに、思考が真っ白になり、心と身体がばらばらになってしまっているように感じられた。 

 そんなとき見つけた‘転倒夢想遠離’という仏教の教えは、「一切の間違ったものの見方、迷いから遠く離れる」ということ。自分自身や物事の本質、ただ起こっているだけの出来事に余計な感情を意味付けすることなく、ただありのままに受け入れることというもの。

 そうしたことをあれこれ思い浮かべながら散歩や瞑想をしているうちに、急に昔きいたアフリカン太鼓のジャンベのリズムが聞きたくなり、過去のライブ映像を探して聴いていくうち、思考ではなく、心の奥の方から生きる思いが湧いてきた。心を取り戻せた瞬間。あれこれ考えてうまくいかないときに、感じるままに過ごすことの大切さをひしひしと実感できたし、過去に自分で選んできた経験で自分を救うことができたこと、過去に苦しい思いはたくさんしてきたけれど、ちゃんと自分に必要な音楽・リズム・ベースキャンプみたいに大勢がごっちゃになって寝食や音楽や物やエネルギーの交換をする場に居合わせ、そういう生身の遊びをちゃんと体験してきていること(‘ちゃんと’笑。)への、自分への信頼と安心感を再確認することができた。「私、必要なもの、持ってるわ!」みたいなことに気が付く、不思議な気分でした!


4.安定を目指して;自分の内側に愛と平和を見つけること。

 心の底から自分を大切に出来ないという自己愛が欠如し、自分軸で生きること、本当の意味での精神的自立を果たし、一人の人間として生きる力が持てていないときは、こうしたさまざまな症状によって苦しい気持ちを経験します。ツインレイプログラムのサイレント期間はこれに当てはまり、男女の在り方を求めるものをはるかに超え、一人の人間として自立し、そこで得た愛と平和のワンネスーすべては一つーの心を以て在ることを目指すことになります。日々の中には強い刺激はたくさんあり、あれが欲しい、これが欲しい、誰かにこうして欲しいと、ネガティブな思考を作り出す下向きのスパイラルに入ってしまうと、どんどんコントロールが効かなくなっていく。 

 見よう見まねでも、ヨガに取り組んでいると、胸の中心で合掌のポーズが常に出てきますが、仏教でも、合掌して手を合わせることは、‘合掌してもう一人の弱い自分に言い聞かせながら、自らの仏性を中心に据えて、しっかりと自分を見つめてバランスを崩さないように整えていくこと’だそうです。今、思っていることは、右にも左にも偏らず、胸の中心、心を開いて、ぐらついたときは、心を鍛えるチャンスだと捉えなおせるような心持/生き方ができるようになること。自分の中に陰と陽、光と影、男性性と女性性と併せ含み、ぐらついても意識的に真ん中に戻れるような思考・判断・決断力を身に付けていくことが安心して自分を生きることなんだと感じています。

 私にとっては、こうした心の旅を続けていくことが、日々の暮らしそのものであり、在りのままの自分を生きていく為の行為なのかなと思っています。 波のように押し寄せそうな感情を恐れず、冬の木立のような凛とした空気の中でまっすぐに自分の行く先を見つめていきたいと思う。

 誰しも自分を愛し、他者を愛し、それ以前に地球を愛し宇宙を愛し、生きるものすべてを愛し、建物や道具や廃棄物さえも私たちが生み出したもの。あるがままを受け止めながら、自由な精神を以って、誰に遠慮することなく、調和しながら自分らしく命を活かすことができますように。


リンク;依存性パーソナリティ障害(DPD) - 08. 精神障害 - MSDマニュアル プロフェッショナル版 (msdmanuals.com) 統合失調症とは - 原因、症状、治療方法などの解説 | すまいるナビゲーター | 大塚製薬 (smilenavigator.jp) 世界から自分を切り離す - こころの探検 (kokoronotanken.jp) 高野山の法話 #15「三毒煩悩を乗り越える」 - YouTube

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このブログが、私と同じような体験をして生きづらさに立ち止まっている人の勇気に触れることを願って。

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